お客様の感想/液晶線 1



靴を片方しか履いてない男。同じ靴のもう片方を履いた男が話しかける。否定と罵声。再度の問い掛け。否定。罵声。百合の香。何かを失った男(とはじめから何も持っていなかった男)。

設定は液晶線の車内。が、意識は時間も場所も自在に越えて失われた「あの子」を探す/連れてくる。連れて?
百合が香り、記憶は改変される。思い出すたび、捻れ、ズレ、亀裂は拡がり、都合のいい物語へと回収されていく。
それは本当に「あの子」なのか? 「あの子」だと思った/願った「あの子」、「あの子」かもしれなかった「あの子」、「あの子」でありえた「あの子」…
男の前で「あの子」は踊る。見たことのある「あの子」と見知らぬ「あの子」の間で男が分裂していく。
「あの子」は百合だ。何も知らない百合だ。無垢と無知は似ている。「あの子」は何も知らなかったのか?
声が聞こえる。いくつもの声が語るそれぞれの物語が縒り合わされてさらに大きな物語を紡ぎはじめる。「あの子」も、「あの子」ではない「あの子」も、これまでに出逢った誰かも、会ったことのない誰かも、全部が「あの子」であり、会場内で重ねられるいくつもの声がひとりひとりの「あの子」の声であり、すべての「あの子」の声である。「あの子」は通路だ。声を持たなかったものが「あの子」を通って声をあげる。

ひとの声は楽器だ。自らを空っぽにすることで他者の声を掬い上げ、楽器として音を響かせる。
いくつもの声の中で顕にされていく男の意識。光と影。百合の香りの中で見たもうひとりの自分の姿。見たくなかったかもしれないもの。
百合の結界。百合の香りに導かれて列車は走る。白百合の花言葉が純潔・無垢であるのに対し、赤/ピンクのそれが虚栄心であることを男は知っていただろうか。会場にあったのは紅百合だった。
「どこへでも行ける」(意識をのせて走る)液晶線はすなわち「なづき(脳)」そのものであり、(意識は)どこへでも行けるけれど、降りることはできない。降りるとは「なづき」を終わらせること。終わらせるとは、なづきを止めることであり、つまり生を終わらせることである。生きている限り「なづき」は続き、列車は液晶線内をぐるぐると回り続ける。


中村みゆき 様

お客様の感想/液晶線 2


液晶線と言う列車に乗ってきました。
東陽町にあるマンションの一室をギャラリーにした「.kiten」が液晶線の乗車口です。
私はお芝居を観るものだと伺ったのですが、
どうしてだろう?
気づいたら列車に乗ってました。
そう。
ガタンゴトンガタンゴトン
どこからか列車の走る音が聴こえてきて
ユリの香りがして。
。。
どこかでお葬式があったのかしら?
喪服を着た男の人が列車に乗って来ました。
その人は、とても困ってる様子で、困った困ったとつぶやいている。
でも、本当はそんなに困ってないんじゃないかしら?
なぜそう思うか?
困ってる人は困った困ったなんて言わないもの
。。
困ってるんじゃなく、何か後ろめたいことがあるんじゃないかしら?
お葬式なのに誰かが亡くなった悲しみじゃなく、もっと何か、、
なんか、嫌な感じのする人だな。
それにしても、ユリの香り
。。
どうやら、列車に揺られてるうちに眠ってしまったようです。
夢を見てました。
死者が甦り、詩を歌う夢です。
その詩は、誰かの記憶であり、私の記憶でもあり、ずっと聴いていたかった。
。。。
なづき「液晶線」 面白かったです。
きれぎれの誰かの記憶を夢でみてるようでした。
しばらく戻って来れなく(戻りたくなかった)、今さっき、液晶線を降りたところです。
とても、いい時間でした。
できれば、もう一度乗りたいなあ。


K.S 様

お客様の感想/流態城市 1



プロジェクトなづき 公演『流態城市』最終日に鑑賞。
実に奇妙な舞台だった。登場人物全員が主役であり脇役のようでもあり、全ての台詞が詩であり哲学であり、挟み込まれる舞踏や音楽が渾然一体となる熱量の高い表現。どちらかというと難解な作品ながらも、各演者の見せ場がしっかりとある構成で飽きさせない。全ての要素に深い意味が感じられたが、そこは敢えて考えず、気持ちを開いて浴びるように鑑賞した。様々な印象的なシーンがあったが、特に彷徨う少女の霊を演じたダンサーの町田藻映子の佇まいや表情が最高に良かった。七月の朗読でご一緒する川津望の、時空を引き裂く魂の叫びのような声も耳に残る。しかしながら登場人物の多さを含め若干の詰め込み感は否めなく、もっと広い空間での表現が理想だったのかもしれないと思ったり思わなかったり。
ともあれ一夜明けてなお、残った澱のようなものにまだ揺さぶられている。目を閉じれば片方だけ靴を履き、つまり此岸に何とか留まりつつ、旅を続ける冴えない男の姿が今も遠くに見える。
唯一無二の公演を見逃さなくて良かった。


物語作家
最合のぼる 様

お客様の感想/流態城市 2



私が撮影した演劇「流態城市」の5月26日の公演です。現代詩のような漢語の多い不条理なセリフが延々と続くのですが、しばらく見ていると、ちゃんとストーリーが浮かんできました。
3.11による地震、津波、放射能汚染、死、生、たましい、冥界、そして再生と言った多岐にわたる深淵なテーマを一気に走り抜けてしまいます。久々に質の高い演劇芸術を見ました。


ジャーナリスト/フォトグラファー/ミュージシャン
烏賀陽弘道 様

お客様の感想/流態城市 3



面白い!なんだか分からんけど。
創り手には失礼かもしれないです。
筋道やコンセプトをすっ飛ばして、その時、その場の音楽やセリフに反応させられるンです。

かつて夏目漱石が草枕で、フランスの映画監督ジャンリュックゴダールが言うんです。

断片こそ全てと。

全体網羅で物語の構造がどうの、泣けるストーリーだとか、そーではない、楽しみ方もあると。

アルバムのトータルな楽しみもレコードではあるけど。お気に入りを何回も聴く、音楽DJならフレーズを取り出して、別の文脈にノセる、って。

ノレる断片の連打!その迫力が。役者の語りの、圧倒のあとダンサーの美しい動き、歌唱、音楽。

あと一日、そして、これからも。

プロジェクトなづき、見逃すと損します。


美術家
権藤 武彦 様