2021年3月23日 公演評「身体詩公演ー花吐きーhanatsuki」

評:北里 義之(舞踊・音楽批評)



3月23日(火)成城学園前

アトリエ第Q藝術にて、詩人の川津望さんを中心に活動しているプロジェクトの公演『花吐き hanatsuki』を観劇。

出演者は、ホリゾント中央にすわる川津望(声、言葉、鍵盤ハーモニカ)さんを軸にして、上手側に位置する方波見智子(声、打楽器)さんと下手側に位置する山崎慎一郎/やましん(言葉、サックス)さんの3人が演奏方をなす──作曲・楽曲提供は米倉香織さん──と同時に、セリフ/言葉の面では、ステージ上手端に着席して新聞を読み耽る月読彦さんが、パフォーマンスの切れ目ごと中央に躍り出ては、登場人物たちに絡みながら場に投げ出されるバラバラの動きをつないで物語を語っていくのと、まさに欲望そのものが実体化したような怪物的存在を演じるやましんさんとが一対をなす空間構成をとっていました。

ダンサーの貝ヶ石奈美さんは、本作品のなかでは一種のマドンナとして扱われたように思われ、公演の前半では、やましんさんから欲望の対象となったり、自身の欲望を掻き立てたりする女となりながら──ブルーシートのうえでスパゲッテイを頬張り、手づかみで食べさせられる場面は、裸の貴婦人を侍らせたことで発表当時「不道徳」の非難を浴び、スキャンダルとなったマネの『草上の昼食』を連想しました──、ハイヒール姿で危うくジャンプするような、いろいろと縛りのかかった姿で不自由な踊りを踊られていましたが、ハイヒールを脱いだ後半では、いましめがとれて身体が解放されていくなか、彼女が主宰するカンパニーNorocなどでは見ることのないダンス──生な感情、生な表情を身体の内側からふり出していくような荒々しいダンスを踊られました。

ダンスを身体の深部へと下降させていく動きの細部が吹き飛んで、皮膚の表面にじっとりと汗が滲み出してくるような荒々しさといったらいいでしょうか。音楽演奏や言葉の演技、ダンスや身ぶり手ぶりのパフォーマンスと、すべては作品の内側に起こってくるものでしたが、鼓膜が破れるかと思うほど身体の底から気持ちを揺さぶられる川津さんの悲鳴は、言葉以前にある詩人の身体が発している世界への異議申し立てのようであり、作品の外から作品を揺るがすものとしてあったように思います。

書かれた詩ではなく、詩を書かせるものの出現といったらいいでしょうか。この声が発せられるや否や、すべては遠景に退いていき、森の木陰でドンジャラホイとお祭りする小人たちを見ているようになります。

このクライマックスは世界を元に戻すことのないクライマックス。世界に外があることを教える危機的なものがあらわれた瞬間だったと思います。